HISTORY OF THE PRESIDENT

代表取締役 藤井について

Keith Keller

PROFILE

弊社代表のプロフィール概要をご紹介します。

HISTORY

株式会社ケンコーホールディングスを知っていただくうえで、
弊社代表がどんな半生を歩み、どんな経緯で外食産業を営んでいるのかをご紹介します。

中国から日本へ

1990年、12歳の時に中国残留孤児だった祖母の帰国に合わせて、一族200人と一緒に横浜へ移住。地元の中学に転入したが、日本語がわからず勉強ができなかった。

中学在学中から働きに出る

そのうち学校に行かなくなり、地元金沢区の中華料理店で働き始める。調理人になりたかったわけではなく、単純に飲食の仕事なら文字通り食いはぐれがなさそうだと思ったからだ。
中学を出てからは、横浜中華街の店に就職。個人店だったが、当時は中華街の中でも立地が良く、シャッターを上げれば黙っていても観光客が入ってくる店で、売り上げも金沢区の店とは比較にならないものだった。そこに商機を見出し、自分もラーメン店を開こうと決意し、姉妹店募集の貼り紙があった横浜家系のラーメン店で半年間研修生として従事。

独立

2000年12月磯子区に初めて自分の店を出店。当時は、店に寝泊まりして1日16時間働いたが、経営は思わしくなかった。そんな状況で2店舗、3店舗と出店を続けてしまう。立地や客が入る店作り、客層分析、料金設定、競合店の動向など何も考えていなかったが、賃料は安いので人を雇わなければ自分の給料ぐらいは出せるだろう思っていたからだ。しかし、安易な経営がうまくいくわけがなかった。

加盟店経営でも辛酸をなめる

「某ラーメン店」のカリスマ店主が出ているテレビ番組を見て、そのFC本部に応募し、加盟店となる。しかし、横須賀1号店はうまくいかず、1年後に負債を抱えて従業員に譲ることに。それにも懲りず出店を続け10店舗まで増やしたが、不採算店がほとんどであった。2013年11月、35歳の時にそのFC本部は破産してしまう。加盟店オーナーの中には本部とモメたり、悪く言う人もいたが、失敗を人のせいにしても仕方がない、「某ラーメン店」を選んだのは自分で、流行っていた店もあったことから自分の店が売れなかったのは自分の力不足と思い知る。好機となる商業施設への出店のきっかけを作ってくれたのだから、むしろ本部の担当者には、感謝していた。

現在に至るまで

その後、当社は商業施設各店を始めとするショッピングモール内フードコートへの出店を加速する。地域特性に合った業態を作り、今度は当社がFC本部となり加盟店を増やすとともに積極的なM&Aで「焼肉」などこれまでなかった業態も展開。総店舗数は直営130店舗を超えるまで拡大し、現在に至る。

MESSAGE

弊社代表の想いを記します。

    22歳の時に創業して今年(2021年)で21年目に入りました。当時を振り返ると計数管理、マーケティング、人の教育。経営の基本も知らずにスタートしてしまった無知、無謀さにぞっとします。「経営」とは、“経”験と“営”業を積み上げることです。最近、筋トレをしているのですが、100㎏のバーベルはいきなり持ち上げられません。毎日の積み重ねで重さに慣れ、段々より重い物を持ち上げられるようになります。経営も一緒です。0から一つ一つの積み重ねです。いきなり100になることはありません。私にとっての100、ゴールは、従業員・お客様・取引先・会社に関わる全ての人に幸せを感じてもらうことです。中国人でも日本人でも学歴がなくてもその人に成長してもらい、ケンコーで稼げる人になって幸せを感じてもらう。20代の時は自分一人がよければ良い、自分の利益だけ考えて失敗の連続でしたが、自分だけ成長しても会社全体は成長できません。全員の成長があって会社は成長します。